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老後の生活・趣味・悩み・終活、子どもが出来る親孝行・見守りを考える

親の介護にかかる費用は?介護保険で受けられるサービスの種類と負担額。

わたしたちは年老いて人の手を借りて生活しなければならなくなったとき、一体どのくらいの費用が必要になるのでしょうか。

 

この記事を読んで下さる方は、近い将来ご高齢の親御さんに介護が必要になるのでは?と漠然とした不安を抱えていらっしゃる方が多いのかなと思います。

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50代前半の私が

【自分の将来のこともそろそろ考えなくちゃな~】

と言うと

【まだ少し早いでしょう~笑】

と一様に言われます。

 

でも私は20代の頃から今まで既に母、祖母、父という身内の介護をし亡くしているので、【次は自分の番】という意識が高いのです。

 

私は持病もあり、恐らくポックリ死ぬことはできないと思っています。

 

死に直結する病気ではありませんが、きっと痛みと自分の体を自分でコントロールできないイライラとでメンタルを相当やられながら介護生活を長くおくることになるだろうと予想してます(汗)

 

何も自分で出来ないとき、要介護4とか5の判定が出て人の助けを借りなければならないとき、どれくらいのお金が必要になるのか。

 

今からとても不安です。

 

 

 

⭐介護保険制度の仕組み

 

日本では現在、介護保険法によって介護保険制度が作られ、40歳以上の人は保険料の納付が義務づけられています。

 

一昔前の日本では介護は《家族の問題》でした。

 

でも現在は世界一の長寿国になって、寝たきりや認知症などの介護が必要な高齢者の増加や介護の長期化など、介護の必要性が高まり介護保険制度が作られることになったのです。

 

介護保険制度は、介護が必要になった高齢者やその家族を社会全体で支えていく仕組みで、誰にでも起こるそのリスクを多くの人で負担しあい、万が一介護が必要になったときに、サービスを利用できるようにしようという制度です。

 

 

介護保険についての詳細

↓↓↓

https://kaigo.homes.co.jp/manual/insurance/about/

 

⭐介護サービスを受けることができる人

 

そしてそのサービスを受けられるのは原則として第1号被保険者(65歳以上の方)、第2号被保険者は老化に起因する疾病(指定の16疾病、末期ガンや関節リウマチ等)により介護認定を受けた場合に限りサービスの対象となります。

 

⭐介護サービスを受けるためには

 

要介護認定の申請をしなければなりません。

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介護保険サービスを利用するには要支援・要介護認定が必要です。まず住んでいる市区町村の介護保険担当窓口で申請することから始めます。

 

役所の窓口で日程調整をし、役所から任命された認定調査員が自宅に来てご本人に日常生活の状況を伺い、身体機能のチェックを行います。

 

その際、少しこちらが不快になるようなチェックも入ります。

 

まだ認知症などではない頭のしっかりとした高齢者にも

まるで子供に尋ねるかのような質問をしたり、トイレはどのようにしているのか、詳細を聞かれたり、私の父はその調査員に下らない質問をするな!と声を荒げていました。

 

調査員の方もお仕事なので仕方がないのですが頭がしっかりしている方だとやはりあまり気分のよい質問ではないのですね。

 

その後は認定結果が出るまでに1か月程度を要します。

 

 

 

⭐介護認定をされるとこんなサービスが受けられる

 
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実際にどんなサービスが受けられるのか、その内容が一番気になるところですよね

 

認定のために自治体の調査員と面談して要介護認定されると、介護保険でサービスが受けられるようになります。そのサービスにかかる費用の1か月の限度額が以下の通りです。

 

支給限度額(1か月)円

要支援1 → 50,030

要支援2 →  104,730

要介護1 →  166,920

要介護2    →  196,160

要介護3 →  269,310

要介護4 →  308,060

要介護5 →  360,650

 

段階によって支給限度額が分かれています。

このうち本人の前年度の所得によって1割~3割を負担することになります。

 

 

①居宅介護支援

ケアプランの作成、家族の相談対応など。

(ケアマネージャーへの支払いは介護保険から出るので直接支払うことはない)

 

②自宅に住む人のためのサービス(居宅サービス)

 《訪問型サービス》

・訪問介護

・生活援助(掃除や洗濯、買い物や調理など)……20分以上の45分未満の場合1割負担→200円 2割負担→400円3割負担→600円

・身体介護(入浴や排せつのお世話)……20分以上30分未満の場合1割負担→274円 2割負担→548円 3割負担→822円

・訪問看護(医師の指示のもと、看護師が健康チェックや、療養上の世話など)……1割負担→516円 2割負担→1032円 3割負担→1,548円

 

・訪問入浴介護(自宅に浴槽を持ち込み入浴介助を受ける)……1割負担→1,382円 2割負担→2,763円 3割負担→4,144円(1回につき)

 

・訪問リハビリテーション(リハビリの専門家に訪問してもらい、自宅でリハビリを受ける)……段階によって異なる

 

・居宅療養管理指導(医師、歯科医師、薬剤師、栄養士などに訪問してもらい、療養上の管理・指導を受ける)

……月に2回まで1割負担→507円 2割負担→1,014円 3割負担→1,521円

定期巡回・随時対応型訪問介護看護(24時間対応型の訪問介護・訪問看護サービス)
 《通所型サービス》

・デイサービス(食事や入浴などの支援や、心身の機能を維持、向上するためのリハビリやレク、「おいしく、楽しく、安全に食べる」ための、口腔清掃や口唇・舌の機能訓練などを日帰りで行う)

・デイケア(施設や病院などで、日常生活の自立のために理学療法士、作業療法士などがリハビリを行う)
認知症対応型通所介護(認知症と診断された高齢者が利用するデイサービス)

 《短期滞在型サービス》

ショートステイ(施設などに短期間宿泊して、食事や入浴などの支援や、心身の機能を維持・向上するためのリハビリの支援など。家族の介護負担軽減や施設入居準備などに利用できる)一日辺り目安(負担割合により異なる)

要介護1→633~1,898円

要介護2→707~2,119円

要介護3→1,001~3,002円

要介護4→1,166~3,496円

要介護5→1,327~3,980円

 

 

③施設に入居するサービス(施設サービス)

・特別養護老人ホーム(特養)→日常生活の支援をしてほしい 1日あたり

595円~2,656円

・介護老人保健施設(老健)→介護やリハビリを受け在宅復帰したい 1日あたり

824円~3,153円

・介護医療院→長期の療養を必要とする人のための施設。医療と日常生活上の介護を一体的に提供1日あたり

858円~4,268円

 

 

施設サービスを利用した場合の費用

サービス費用の1~3割の負担額+居住費+食費+日常生活費となります。

施設によっても、病床によっても異なりますが1か月あたり総額で100,000円~140,000円ほどの計算になります。

 

④福祉用具に関するサービス

介護ベッド、車イスなどのレンタル
入浴・排せつ関係の福祉用具の購入費の助成(年間10万円が上限で、その1~3割を自己負担することで購入できる)

 

 

⑤住宅改修

手すり、バリアフリー、和式トイレを洋式にといった工事費用に補助金が支給される。最大20万円まで。

所得によって1~3割負担。

 

例えば我が家の場合、玄関前に長さ100センチの手摺設置工事

66,000円→19,800円(3割負担)

でした。

 手続きなども包括センターの職員の方が立ち会ってくださり、業者とのやりとりもスムーズでしたのですぐに取り付けられました。

https://www.kaigokensaku.mhlw.go.jp/commentary/fee.html

 

 

 

⭐まとめ

 

親が介護が必要になったとき、本人の希望、また体の状態、環境、そして金銭的な問題などにより、在宅にするか施設にするかを考えるときが来るかと思います。

 

まだ年もお若くて介護認定が比較的軽い人ならお一人住まいでも在宅サービスを受けながら生活することはできるとは思いますが、要介護4、5などの比較的重い認定の場合はお一人で在宅サービスを受けるのには無理がありますよね。住み慣れた自分の家を出て施設に入るには体も頭もしっかりしているうちからある程度の見通しを持って計画を立てていないとズルズルとタイミングを見失ってしまうかもしれません。

 

介護費用だけでなく、高齢になればなるほど医療費もかかってきます。

 

最近では立て続けに高額療養費の計算方法が変わり、医療機関に月々に支払う額がかなり高くなった高齢者の方も多かったのではないでしょうか。

今後また負担額が増えることも考えて自分達の将来のためにもしっかりとお金を貯めておくこと、親子で共倒れにならないよう親のお金をきちんと把握して介護にかかる費用はなるべく親のお金で賄うことを早くに話し合っておくことが大切なのではないでしょうか。

親の介護で罪悪感に苛まれる時はどんな時?後悔しない言動を。

皆さんは高齢のご両親の介護に携わった時に《罪悪感》というものに苛まれたことはありませんか?

 

11月も半ばを過ぎましたが、東京の日中はまだ20度を超える上着のいらない日もあり、本格的な紅葉はまだ少し先のようです。

 

今日は久しぶりのお休みで、ふと思い付いてほんの少し紅葉で色付いてきた公園の中の遊歩道を散歩してきました。

そこは思い出の散歩道で、昨年まで父と一緒に毎日のように歩いた道です。

 
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まだ父が亡くなって一年しか経っていないので、思い出を噛み締めながら歩いていると突然涙が汲み上げてきて自分でも驚きました。

 

日々の雑事で自分の悲しみを紛らわしていても、思い出も、大切な人への想いも、ふとした時に堰を切ったようにあふれでてしまうものなんですね。

 

そして、悲しみと懐かしさと共に胸に残っている罪悪感に、嫌でも気付いてしまいます。

 

介護は時間的、体力的、精神的、金銭的、すべてにおいて介護する側の人間の心身をすり減らしていきます。

 

介護の様々な問題に直面し選択を迫られた時、親子関係が良ければ良いほど答えを出すのに悩み苦しむものです。

 

そしてその正解のない問題の答えを出した後、良い方向に向かわなかった場合……

 

親に対して申し訳ない気持ちになってしまい罪悪感を抱くことがあるのではないでしょうか。

 

 

 

⭐《罪悪感》を感じた私の例

 

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1.父を置いてきぼりにしたこと

 

ある日、父と同居している私たち家族を気遣って、妹夫婦が父の面倒を見ながら留守番をしてくれると我が家にやってきました。

ですが、自分たち家族だけで食事に行ったことに外出の最中ずっと罪悪感を覚え、父を一人置いてきぼりにしたような気持ちになってしまい食事だけしてすぐに帰りました。

どことなく、父も私たちの顔をみて安心したような面持ちでした。

 

 

2.ひとりの食卓

 

一緒に住んでいるのに一人で食事をする、というのは独り暮らしの一人の食事よりも寂しいと聞いたことがあります。

 

子供たちが大きくなってくると帰宅時間もバラバラです。父の食事は6時45分から。子供たちは8時過ぎにならないと帰宅しないので、父はいつも大きなダイニングテーブルにぽつんと一人。

私は食事を出したり世話はするものの子供の塾の送迎などで忙しい時間帯なのでゆっくり話し相手になってあげることもできず……

今思えばあの時なぜ私も食卓につかなかったのか悔やまれます。

 

 

3.守れないかもしれない約束をしてしまったこと。

 

父を励ますために亡くなる少し前にきっとこの約束は守れないだろうな、と思う約束をしてしまいました。

そして結果、守れませんでした。

口約束のつもりではなく、ただその約束を励みに頑張って欲しかっただけなのですが、その守れなかった約束が今も私を苦しめます。

 

 

⭐《罪悪感》の正体とは

 
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罪悪感の正体を冷静に見つめてみましょう。

自分は何に対して罪悪感を抱いているのか、感情に流されず論理的に考えてノートに書き出してみるとよいと思います。

その原因がわかると少しは対処方法が浮かんでくるのではないでしょうか。

 

私は罪悪感とは

「自分が行動しなかったために生まれる後悔の念」

なのではないかと思います。

 

例えば私の罪悪感は、たくさんあるのですが

「どうしてもっと◯◯してあげなかったんだろう」

という後悔から生まれたものが多いです。

 

「もっとこうしてあげていれば今はこうであっただろう。自分が努力を怠ったためにこうなってしまった。」 

と、やろうと思えばできたはずの行動を起こさなかったことへの後悔がいつまでも心に残り苦しみました。

 

 

 

⭐《罪悪感》を感じやすい人はどんな人?

 

1.その人が好きだからこそ良くしてあげたいと考える誠実な人。

 

「大好きな両親にもっともっとありがとう、大好きだよ、と伝えればよかった。まだまだ足りてなかった」

 

十分努力をしているのに愛してやまない両親にもっと色々としてあげたい、相手を思うあまり相手の望む通りにしてあげられなかったと申し訳なく思って自分を責めてしまう人は、罪悪感に苛まれやすいと思います。

 

2.ネガティブな人

 

性格的に物事をすべて悪い方に受け取ってしまう人は、

明らかに自分のせいではないことでも「私が悪かったんだ」と思い込んでしまいます。

度を過ぎると鬱になってしまうこともあるかも知れませんので罪悪感で苦しんでもうどうしようもなくつらい、と言う場合は専門家に相談してみると良いかもしれません。

 

 

 

⭐《罪悪感》を感じるのは良くないこと?

 

 

協調性があり誠実な人が罪悪感を感じやすいと言われています。相手のことが好きで、大切に思うことによって

その人の望むようにしてあげたい、と努力のできる優しい人なのです。

罪悪感を感じるのは決して悪いことではありませんが、本人にとっては苦しいことではあるかも知れません。

 

 

⭐《罪悪感》を感じないために。

 

1.悔いのない言動を

 

罪悪感を感じないようにするためには、後悔のない言動を意識することだと思います。

 

介護の疲れや思うようにことが運ばない苛立ちなどで感情的になりそうな時に、一度深呼吸をして立ち止まってみましょう。

 

感情的になって大切な人を傷付けるようなことをいってしまったら本末転倒です。

 

2.ポジティブな考えを選択しよう

 

そしてもうひとつ、やはり考え方がポジティブな方が罪悪感は感じにくいと思います。

罪悪感は感じても良いのですが

「でもそれって考え方を変えればこういうことだよね?」

と違う捉え方ができれば罪悪感で苦しむこともないし、もしかすると考え方を変えて捉えたことの方が正解に近付いていることもあるかも知れません。

 

 

⭐介護をしていてぶつかる様々な問題

 

介護をしていると、本人が決められないことを代わりに決めなければならない時が多々あります。

 

同居していてもしていなくても介護状態にある親の身の回りのことやこれからのことは子供が親の希望を聞きながら一番良い方法を選んでいくしかありません。

 

責任を感じて目に見えない重圧で押し潰されそうになるときもあると思います。

 

介護の状態になったとき、まずは地域の包括センターに連絡をしそこの職員の方がマッチングの作業をします。

つまり、ケアマネージャーの決定です。

 

ケアマネージャーさんともし、相性が悪ければ替えてもらうこともできますが離れて暮らしていると状況がよくわからないこともありますよね。

 

相性の良いケアマネージャーさんに当たると決め細やかな意志疎通ができ、介護に纏わる悩みごとなども相談できたりしてとても心強い味方になってくれます。介護サービスを受けるか受けないかは別として介護のプロに相談して今後に備えておくには早いに越したことはありません。

 

急に体力が衰えたので階段に手摺をつけることになった、訪問看護をお願いすることになった、お風呂の時洗い場で介護用のシャワーチェアーが必要なのでレンタルしたい……

 

コミュニケーションが密に取れなかったばかりに色々な手配が遅れ、それが原因で転倒や不自由な想いをさせてしまうのはとても悲しいですよね。

 

 

親子で良く話し合い、ケアマネージャーさんや地域の福祉の方にも色々と相談してみてできるだけ後悔のない介護ができるとよいなと思います。

 

 

⭐親の気持ちは……

 

私たち子供は、親には感謝の気持ちでいっぱいなので、できる限りの恩返しをしたいと思っていますよね。

 

では親の気持ちはどうでしょうか。

 

私も人の親ですが、親は子供がいくつになっても真っ先子供の心配をしているのではないかと思います。

子供が苦しむ姿は心配でたまらないでしょうし見たくないと思うかも知れません。

どんなに老いて体が動かなくなっても、どこかで「子供のためなら」という決死の覚悟を持っているのです。

 

私たち子供は罪悪感など感じず笑顔で生きていけたら、それだけでも親は幸せなのかも知れませんね。

 

老後の趣味は何故大切なの?生きがいって何?を考えてみよう

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あなたの趣味はなんですか?
即答できる人は意外と少ないと思います。
趣味は老後の生活を豊かにする大切な要素です。
今回は生きがいとなる老後の趣味のあれこれについて考えてみます。

 

 


1. 何故、趣味が大切なのか

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そもそもなんで趣味が大切なのかを考えていきます。

 

看護の世界に携わる人はみんな教わる、マズローの欲求五段階説というものがあります。
彼は人間の自己実現を研究して、1943年の論文「人間の動機づけに関する理論」人間の欲求の階層(マズローの欲求のピラミッド)を考えました。

1 生理的欲求…生命維持に関わるもの
2 安全の欲求…生命や身体、生活などの安全性、経済的安定性、安心など
3 所属と愛の欲求…どこかに所属したい、愛し愛されたい
4 承認の欲求…認められたい、他者から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める
5 自己実現の欲求…自分の持つ能力や可能性を最大限発揮する、何かを成し遂げたい、自分の存在意義を確かなものにしたい


マズローの理論では、1が満たされると2が出てくるというような、段階的なものと考えられています。
趣味を持つことは、3から5の段階を満たすことが出来る=人生を豊かにする素晴らしいことなのです。

 

2.所属と愛の欲求を満たすには

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孤独は老後の生活の満足度を低下させます。

 

定年を迎えるまでは、多くの人は会社という組織に属します。

自分の居場所があるわけですね。

退職後はそれが無くなってしまい、時間を持て余し、何をしていいのか分からなくなったというお話をよく聞きます。

誰かと話すといえばお店の店員さんだけ…なんて生活にもなりかねません。

 

そんな時はどうしたらいいか、というと…

 

1.仲間をつくろう

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趣味のサークルやボランティア、講座、教室に参加することで、新しい自分の居場所が出来ます。


老人会、町内会、パソコン教室、コーラス、演劇、料理、落語、囲碁、将棋、麻雀、絵画、ボランティア、スマホ教室、英会話、音楽、カラオケ、ヨガ、太極拳、ダンス…

 

行政施設に行くとよくサークルや講座などのチラシがありますし、また毎月配布される◯◯市だよりみたいなものに掲載されてることもあります。


自分が気になったものに参加してみる、合わなかったら辞めたらいいし、合うものがあったとして、毎回必ず参加しなくてもいいのです。
あくまで趣味ですから、負担にならない程度で楽しみましょう。


2.動植物から愛を受け取る

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愛し愛されること、は何も恋愛のことばかりではありません。

 

動物は無償の愛を感じさせてくれる存在です。

お世話をするのは少々手間がかかりますが、彼らがむけてくれる信頼や愛情は他の何にも変えがたいものがあります。

 

今から飼うのはちょっと心配という方は、猫や犬の保護ボランティアの手伝いなども良いですね。

 

植物を育てる、家庭菜園をつくる、押し花、ドライフラワー、ハーバリウムなどを作成するのもおススメです。
手間暇と愛情をかけて育て、収穫する喜び、花々の美しさ、鮮やかな緑の眩しさ、大きな達成感に繋がりますよね。

季節感を感じることで、生活にメリハリがつき1日1日を大切に生きることが出来ます。

 

3.承認欲求を満たすには

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孫を預かる、子供会の行事に参加する、学校関連のボランティア、子育てに悩むお母さん達の相談相手になる、など良いと思います。


今、核家族が多いので、孤独に子育てをしているお母さん達はたくさんいます。

話しをきく、自分の体験を話すことで誰かの役に立てたら、老後に下がりがちな自己効力感も高まりますね。

 

また、子どもの生き生きとした生命力、創造力、発想力は忘れてしまっていた視点を思い出させてくれます。


退職して社会との関わりが減ってくると「ありがとう」と言われることも言うことも減ってしまいます。

自分が社会の役に立ってるという実感もなかなか得にくいです。
自分の経験や体験を活かせて、それを次世代を担う子どもたちに伝えることが出来るなんて、とても素敵なことですよね。

 

4.自己実現を考える

老後は人生の集大の時です。

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現代では平均寿命も長く、一昔前の同じ年齢よりも実質的に若々しく闊達な方々が大勢いらっしゃいます。

 

何かを成し遂げた証を残したい、自分がこれまで培ってきた能力や持てる能力、まだまだ広がる可能性を最大限発揮したい、自分が何故生まれてきて何をする為に存在するのかその意義を確かなものにしたい、という気持ちが若さの秘訣ではないでしょうか。

 

患者さんと接していて、お元気だなと感じる高齢の方々に共通して感じるのは、

生きがい=生きる+甲斐=生きる価値や喜びを見出し、自己を実現していく、つまり、自分が思う自分らしさを発揮して、いくつになっても自分のやりたいことを実現していく、そうしたいと強く願う気持ちを持ち続けていらっしゃるということです。

 

年齢を重ねれば、身体に不調も増え、疾患を抱えることもありますが、積み重ねてきた知性や経験は誰にも真似できない個性です。

 

是非、時間が自由になる老後の生活の中で、個性を発揮できる趣味を見つけて、人生の集大成の時を心豊かに過ごして欲しいと思います。

 

 

5. まとめ

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QOL、クオリティオブライフという言葉をどこかで聞いたことがある方も多いと思います。

医療の世界では、もう標語かなというぐらい使われてる言葉です。

人生の質、生活の質、と訳されることが多いです。

 

高齢社会で長くなっている人生、老後をただ生きるよりも、より良く生きる、幸福に、満足して生きるために是非趣味を持ってください。

 

趣味を持っていることはそれだけで素敵なことですが、それを通じて仲間が出来たら、もっと素敵ですよね。
趣味は特別なものじゃなくても、自分が楽しめれば何でもいいと思います。
部屋の掃除だって、孫の世話だって、料理、洗濯、アイロンがけなどの家事も工夫して楽しめればになれば立派な趣味ですよね。

サークルやボランティアを始めて、面倒になったら辞めてもいいし、楽しかったら続けてもいい。

1つ目がダメでも2つ目は楽しいかもしれない。
責任とか努力とかは全部手放して、自分が楽しむ!が老後の幸せ生活の一歩です。

 

今まで充分すぎるくらい頑張ってきたから今があるんです。

老後の生きがいになる趣味を見つけて、是非イキイキ闊達な高齢者の仲間入りをしましょう!

~いつがその時?介護施設に入居するタイミング~

最近の朝晩の冷え込みには、冬がすぐそこまで来ている気配を感じずにはいられませんね。

 

空気も乾燥してきていますからそろそろインフルエンザの流行も気になります。

 

50代の私でも年々体力の衰えを感じ風邪をひきやすく、そして治りにくくなっていますので充分気を付けたいところです。

 

さて、今日はまだ私には少し早いかな?とも思いますが、《介護施設への入居》について考えてみたいと思います。


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老後、家族が面倒を見てくれるなら施設に入ることもないかも知れませんが今の時代、なかなかそれは難しいですよね。

 

一人は寂しいけれど子供たちに迷惑をかけるのも嫌だし。

自分の意識がはっきりしているうちに自分の意思で介護が必要になった時のことを決めておきたいものですが、健康である今はついつい後回しにしてしまって、なかなか先のことを考えられません。

 

 

 

 

⭐限りある《時間》に気付くとき

 
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人間は誰しも必ず年をとり、少しずつ体の機能が衰えていきます。

 

皆さんは若かりし頃、日々の生活の煌めきに目が眩み、遠い未来にはその光しか存在しないかのような錯覚をしていませんでしたか?

 

自信に充ち溢れ、今を謳歌し、一番素敵な時ですものね。当然のことです。

 

でも、目標に向かってがむしゃらに突っ走っている時も、落ち込んで何もやる気が起きずふて寝している間も、着実に時は刻一刻と刻まれているのです。

 

そして、その《時間》が限りあるものだと認識し始めるのは、自分を含め近しい人の病気や介護などが現実となって目の前に立ちはだかった時ではないでしょうか。

 

 

⭐なぜ健康な今、将来のことを考えられないのか?

 

健康なうちに、将来の病気や老いに備えるのはなかなか困難なことだと思います。

病気とか、介護とか、考えていると暗くなるからイヤだ!という人もいますし、まだまだ先のことだろうから今はまだ考えなくてもいいかな、という人もいるでしょう。

 

せいぜいお金の心配をして保険に入るのがやっとではないでしょうか。

 

若くて健康で夢と希望に充ち溢れている人間が、予測不能な将来の自分の病気や老いに頭を悩ませる時間がないのは当然ですよね。

 

私もかつてはそうでした。

心配したらきりがない。先のことはもう少ししてから考えよう……と。

 

持病もある高齢の私の父などは、年齢を考え予測を立てて策を講じていましたが、持病とはまったく違う病気であっという間に亡くなってしまったので、確かに人間どうなるか最後の最後までわからないものなのだなぁと思いました。

 

 

⭐父の例

 

父は70代から長く心臓の病気を患っておりましたが、持病の悪化を一番に恐れ、命を落とすならきっと心臓が原因になるだろうとの予測を立てていました。

 

生真面目な父でしたから、自分の心臓の病気について詳しく調べ家族にも状態を説明して共有し、みんなで一丸となって少しでも長く再発せずに健康な状態を保ちたい、と生活にはとても気を遣っていたのです。

 

我が家は人手があり、父との結びつきが非常に強かったので、万が一介護が必要な状態になったとしても人海戦術で在宅介護にするつもりでした。

何年もの長期介護の覚悟もして、まだ元気なうちから自宅を改装もしました。

 

しかし、突然まったく別の、治療のしようのない血液の病気になってすぐに余命宣告を受けたので家族みんな呆然としてしまいました。

 

その時父が

 

「入院や介護が長引く病気ではなくて良かった」

 

と、ほっとした顔で言っていたのがとても悲しく、その時はなんと返してよいのかわかりませんでした。

 

実際、容態の急変する病気で、亡くなる2週間ほど前までは自宅で身の回りのことはほとんど自分で行い、いわゆるオムツ交換や食事の介助などをする《介護》という期間はほとんどなかったのです。

 

家族にとっては長引くたいへんな介護生活がなかったのである意味楽をさせてもらい、父には少し申し訳ないような気持ちになりました。

 

 

 

⭐若者のいない街

 

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私の住んでいる地域は、40年ほど前に宅地造成して一斉販売したらしく、住民はみんなだいたい同じような年代です。

 

私の両親の世代が土地を購入し家を建てているので、この街の各戸の世帯主は70代後半から80代の方が殆どです。

 

私は50代の専業主婦ですが、25年ほど前、結婚してすぐに実家に入りました。私の母が病弱だったため心配で、忙しい父の代わりに母の側にいたいと考えたからでした。

 

今はもちろん、当時でも結婚してすぐに実家に入るのは珍しく、友人や近所の知人はとても驚いたようです。

 

近所の同級生は結婚するとみんな実家から出ていってしまって、私くらいの年代の人をこの辺りであまり見かけなくなり、気が付けば若者のいない街になっていました。

 

 

⭐高齢者に囲まれて

 

 

我が家のお向かいさんは共に80代の老夫婦。

そして、お隣は80歳のご主人と76歳の奥様。

裏の家はは100歳のおばあさんと未婚の60代の娘さん。

 

まわりを見回しても高齢者ばかりです。

 

50代の私はこの地域では若者で、大雪が降ったり、台風が来たりの時にはその3軒の安否確認と雪掻きなどをしています。

我が家には2人の子供もおりますので、子供たちも稼働していつの頃からか近所のお年寄りのちょっとした見守りをするようになりました。

 

 

⭐お向かいの老夫婦

 

お向かいの80代の老夫婦のご主人の方、は頭はしっかりしていますが体が思うように動かず、奥さんは体は問題なく動けるそうですが認知症で、一人では何もできない状態です。

 

ご主人は私の父と同じくらいの年齢ですが、現役の頃はバリバリのやり手といった風貌で、毎晩タクシーで夜中に帰ってきては酔っぱらっているのか玄関先で大声で奥さんを呼んでいているのが聞こえていました。

 

子供のいないご夫婦でご主人が退職されてから20年ほど経ちますが、近所付き合いをまったくせず、数年前まで時々ご夫婦で買い物に出掛けているのをお見かけするくらいで、最近はヘルパーさんを雇って食事や身の回りの世話などを頼んで家からほとんど出ていないようだと聞いていました。

 

大雪が降った時は心配で声をかけにいくと、迷惑そうな顔をされ、台風で屋根のトタンが我が家まで飛んできた時はそれも届けに行くと余計なことをして!と言わんばかりの態度。

 

隣近所とのお付き合いを拒絶しているお宅でしたので、気にはなりつつもそっとしておくことにしました。

 

しかし、冬のある日。

ちょっとした事故が立て続けに起こったのです。

 

この地域は玄関まではどのお宅も急な階段を10段ほど上らなくてはならず、お年寄りにはかなり大変だと思います。

 

地域の住民の高齢化に伴い、ここ数年で手摺を取り付けられたお宅が増えたようです。

我が家ももれなく昨年秋に取り付けはました。

そして向かいのお宅も。

 

しかし、急な階段は手摺をつけても非常に危なく、実際、手摺があったにもかかわらず、奥さんは階段を踏み外し大ケガをしました。

 

そのケガの入院から急速に認知症が進み、退院してからはまったく見かけることもなくなりました。

 

そしてそのあとすぐにもうひとつの事故が。

 

ご主人が寝タバコをしていて火事になったのです。

幸い昼間でしたので新聞配達の男性が気づき、消防車が3台ほど来ましたがすぐに消し止められ、隣家に移ることはなく事なきを得ましたが、軽い火傷をしたご主人は念のため入院。

認知症の奥さんは一人家に残されたのです。

 

ヘルパーさんは日中数時間はお手伝いに来ますが、夕方から翌朝までは一人きり。

 

認知症が進んでいるなら一人にしておくのは危険です。

 

私は心配で心配で夜中に何度も起きてはお向かいの家を確かめるようになったのです。

 

ご主人が退院し家に戻って来るまでの間、奥さんはどこか施設にでも入った方がよいのではないかと思いましたが結局は1人で2週間を過ごされました。

 

⭐タイミングを失った理由

 

 

2週間後、ご主人が退院され、お見舞いの品を届けることを口実に状況を確認しようと思いました。

 

さすがのご主人も火事騒ぎになったことを私に謝罪し、少し話をしてくれるようになりました。

 

言い訳のようにぶっきらぼうに

 

「まだまだ元気な70歳の時に介護施設に入居しとけば良かったんだけどさ。健康だったわけ、俺もばあさんも。だからもう少しこの家に居たいなと思ってたら80になっちゃったよ。」

 

と言いました。

そして、

「80になったら、いつ死ぬかわからないのに高額の入居金を払って施設に入るのがもったいないなって思ったわけよ。お金はいっぱいもってるけどね。」

とも。

 

最後にご主人は

「年寄りで迷惑かけるけど許してちょうだい!」

と、とても元気そうな口振りでしたが一歩一歩足元を確かめながら、ゆっくりゆっくり家に入っていったのです。

その後ろ姿を見て私は胸がきゅっと痛くなりました。

 

 

 

 

~思うこと~

誰しも自分の住み慣れた家でいつまでも暮らしたいと思いますよね。

私も介護施設に入るよりは、一人になっても可能な限り自分の家で生活したいと今は考えています。

 

でも病気になったり、高齢で体が思うように動かなかったりするときは、家族に負担をかけたくないので、介護施設という選択をしなくてはならない時も来るかもしれません。

 

人生何があるかわかりませんが、今のところ何もなければ主人の退職を機に一度じっくり考えてみようと思います。

 

お向かいの老夫婦を見ていて色々と考えさせられました。

 

大切なのは早めに家族で話し合い、もしも介護施設に入るつもりがあるのならその人のベストなタイミングを逃さないように勇気を持って決断するということなのかも知れません。

 

 

 

~いつかは来るお別れの時 エンディングノートという父からの最後の贈り物~

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~いつかは来るお別れの時エンディングノートという父からの最後のプレゼント~

 


 

こんにちは。

 

都内に住む50代の専業主婦です。

 

ようやく朝晩の冷え込みに秋を感じるようになりましたね。

 

今夏は連日の猛暑でエアコンなしには眠れない日々でしたし、10月も夏日で寝苦しい夜もありましたから、私的にはもう体力の限界でした。

 

もともとは私、物悲しい秋はちょっぴり苦手で。

加えて昨年の秋にはとても悲しい体験をしましたので今年は秋の訪れを拒む気持ちの方が大きかったはずなのですが……

 

夏はもうお腹いっぱい!

ひんやりとした空気に心地良さをおぼえます。

 

 

 

さて、今回は先にも記しました昨年の悲しい出来事。

 

それは【父の死】なのですが、最後の最後に父の偉大さを感じた終活の様子、残されたエンディングノートに纏わる諸々のことをお話ししたいと思います。

 

 


 

 

⭐わたしたち家族のこと

 

我が家は3世代5人家族で

 

昨年の秋まで、80代後半で不治の病にかかってはいたけれど、頭は家族の誰よりもしっかりしていた実父と

 

お勉強はからっきしダメだけど元気いっぱい部活三昧の男子高校生の息子、

 

おとなしくて真面目な家族思いの女子中学生、

 

穏やかな気質で婿養子になってくれただけでも有り難いのに、家事から父の相手、身の周りの世話まで、嫌な顔一つせずやってくれる40代の夫、

 

そして週に3回ほどパート勤めをしている平凡な主婦の私。

 

 

 

同居して20年、実の父とはいえ色々な衝突がありましたが、基本的には仲の良いファミリーで、子供たちの成長を楽しみに平和な日々をおくっていました。

 

80代にしてスポーツを趣味とし向学心旺盛な父は、海外の親戚の家を転々としては観光ということばでは収まらないほどの視察?研究?旅行をし、心臓の持病を抱えながらも臆することなくどんどん新しい世界に飛び込んでいきました。

 

専業主婦である私が、健康面を食事や身の周りの世話でフォローしていけば、きっと100歳まで生きられるのではないかと思うほどエネルギッシュな人だったのです。

 

 

 

 

⭐エンディングノートを書くことになったきっかけ

 

そんな父は数年前のある朝、腰痛を訴えベッドから起き上がることができなくなりました。

 

急遽、整形外科に連れていくと椎間板ヘルニアとの診断。

神経ブロックの痛み止めの注射を打ってとりあえずはやり過ごすしかないとのこと。

 

ですが、幸いにして3、4回注射を打ったらすっかり良くなり以前と同様歩くことも問題なし、趣味のゴルフも再開できるようになったのです。

 

今まで心臓の持病で手術などを経験していた父も、ある日突然歩けなくなった、という事実が相当ショックだったようです。

 

椎間板ヘルニアでは命を落とすことはありませんが、不測の事態に備えて、と、これを機に心配性な父のエンディングノート作りがはじまりました。

 

 

⭐最初にはじめたこと

 

エンディングノート、といっても本屋で売っているような立派なものでなく、大学ノートに自身のことをただ纏めて書いたようなものでしたが、父が亡くなった後、相続などの手続きの際にはとても助かりましたし、今となっては父の直筆のノートは思い出の品となり宝物になりました。

 

 

その宝物になったエンディングノートに父が最初に記したのは財産目録でした。

 

自分が死んだ後、お金に関する大切なことがわからないままにならないよう目録を作ったのです。

 

自宅の土地が何平米で、その路線価格はいくら、土地と建物の評価額はいくら、どの金融機関に今現在どのくらいの預金があるのか、そして株式取引の状況。

 

ネットでの株取引やインターネットバンキングなどのIDやパスワードを一覧表に。

 

見開いたページすべてが几帳面な小さな字でびっしり書かれていて、「こんなにも記しておかなければいけないものがあるのか~」とその時、娘の私は呑気なものでした。

 

 

⭐エンディングノートを書き始めると頭の中が整理されてくる

 

 

ヘルニアから2か月くらい経った頃、私は父に連れられ?取引している銀行に行きました。

 

まだ一人で外出するのが怖かったのか、お供を命じられたので「運転手兼鞄持ち」のつもりで何も考えずについて行ったのです。

 

唐突に父が窓口の女性に「お宅との取引を解約したい」と言ったので事前に詳しく話を聞いていなかった私はびっくりしました。

 

4つある銀行口座のうち、1つを解約して現金を全部持ち帰るというのです。

 

一番大口の口座でしたので「現金で持ち帰るなんて怖いなぁ~」と思いながらも、父にも考えることがあるのだろうと横で携帯電話をいじりながら軽く話を流しながら聞いていると、

 

「お連れの方はお嬢様ですか?」

 

と女性の声。

 

どうやらその窓口の女性は、

私がアカの他人で、年寄りを騙して現金を引き出させているのではないか、と疑っているようでした。

 

状況を理解した私は女性に

「病気をして先行きが不安になった父が銀行口座の整理をしようとしているのでここに来ました。」

と説明をしました。

 

それでも「最近は詐欺が多く、高齢の方が銀行に来て大金をおろした時には、警察に連絡をしてパトカーで家まで送り届けるか、自家用車の場合は警護する」ということになっているのだと言います。

 

ヘルニアで少し弱っているけれど、頭のしっかりしている父は

 

「俺の金を俺が自分で持ち帰って何が悪いんだ!」

 

と語気を強め、結局は疑われながらも親子で無事に帰宅したのでした。

 

そしてそのお金の使い道を聞くと、

 

「生前贈与をするので、贈与の書類を作って現金で子供、孫、そして私のいとこたちに渡す、残りはタンス預金だ。」

 

と言っていました。

 

相続税法も変わったことですし、「自分の死後、子供たちが少しでも節税ができるように」と、エンディングノートをつけはじめてから色々と考え、このようなことをするに至ったようでした。

 

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⭐書きたいことは山ほどある

 

父はエンディングノートを書き始めてから毎日のようにそのノートとにらめっこ。

 

財産目録の他にも家系図、親戚の連絡先一覧、住宅設備の点検&交換の記録、自分の病歴や職歴、自分の生まれた場所や転居の記録。希望する葬儀のかたち。

 

そして遺言の下書きや相続税の計算方法、自分の死後の預貯金の請求の仕方、そのために必要な自分の生まれたところにまで遡った戸籍の取り寄せ方。

 

とにかくエンディングノートを書きながらどんどんと書きたいことが増え、ノートを書くことが日課のようになっていきました。

 

終活なのになぜか父は嬉々としていたのをよく覚えています。

 

⭐近付いてきた別れの時

 

エンディングノートをつけはじめて3年ほど経ったある日。

 

父が体力の衰えを感じたのか、もうゴルフはやめる、と言い出しました。

 

ゴルフをしたあとはぐったりするほど疲れて一度横になると起きられない、というのです。

 

起きているときはいつも背筋を伸ばしてシャンとしている人でしたので、私が見ている中ではそんなに疲れているようには見えませんでした。

 

でもある日、父の様子を見に部屋を覗いたとき、父がデスクに寄りかかってつらそうにしている姿を見てしまったのです。

 

熱を測ってみると39度。

 

あわてて夜間救急に連れていき、検査をすると肺炎であることがわかりました。

高齢なので急変することを心配し、即入院。

その後の血液検査で、肺炎の原因はある不治の病であることがわかったのです。

 

 

⭐余命を宣告されて

 


 

一昔前と違って、医師は病名や病状を本人に正確に伝えます。

 

父もハッキリと余命は1年半だと宣告されました。

 

高齢ですべてのことに達観しているのか?

余命を聞いてもショックを受けているような様子は全くありませんでした。

 

いつも通りに昼食をとり、いつも通りに株価のチェック、いつも通りに読書をし、鼻唄を歌いながら部屋の片付けをしている父。

 

亡くなった今となっては、それはきっと動揺を見せないことが父の美学であり私たちに対する優しさだったのだと思います。

 

でもエンディングノートはそこからまた現実的なものとなって少しずつ書き加えられていくのでした。

 

⭐配慮の一筆

 

余命を宣告されてからまず書き加えられたのは、

 

「これからのすべての判断は長女○○に任せる」

 

という一筆。日付と署名と共に。

一番近くで見ていた私が、父の死後に様々な兄妹間トラブルに巻き込まれないように、という配慮だったのだと思います。

 

そして、本人が取り寄せるのは簡単ですが、家族だと取り寄せる手続きをするにも相続人全員の、何枚もの書類の準備が必要な戸籍をすぐに取り寄せたのです。

 

そして封筒にいれて、エンディングノートに挟んでいました。

 

⭐残りの時間

 

それからの父は、浦島太郎が玉手箱を開けたとたんおじいさんになったかのように老けました。

 

もともと80代にして70そこそこにしか見えなかった父なので、年相応になったのだと思いますが、急激な変化に家族全員が驚きました。

 

しかし、見た目とは違って精神的には変わらず逞しく、体調が悪くても弱音を吐かない力強い姿に、私たちも目の前でメソメソ泣くことは許されず、いつもと変わらない毎日をおくることを決めました。

 

この世に生を受けたものはいつか必ず死に行くのです。

 

父は自分らしく、自然な形で枯れていくことを望んでいました。

 

なので、何をしても助からない、と言わば医者に匙を投げられた状態になった時は、胃ろうも点滴も心臓マッサージも行わないと家族で話し合い決めました。

 
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⭐最期の時

 

余命を宣告されてからも父はとても元気でした。

 

筋力は衰えてもできるだけ自分の身の回りことは自分で管理し、そして父が行きたいというところは家族全員がフォローして、できるだけ連れていきました。

 

飛行機に乗って旅行もしました。

 

少しずつ歩ける距離が短くなり、歩く速度が遅くなり、できることが減っていきましたがそれでも生をあきらめず、少しでも長く、少しでも自然に、と日々強い気持ちで生きていたのです。

 

ある日高熱が出たので受診をするとそのまま入院することに。

 

まだ回復して家に戻れるだろう、と思っていたのですが結局はどんどん悪くなり一度だけ外泊ができましたが、最後は病院で亡くなりました。

 

最後の入院期間は2週間ほど。

そのうち最後の2日間はトイレに立つのもやっとでしたが、それまでは筋力を落とさないために、と病院の廊下を行ったり来たり何度も往復していました。

 

亡くなる直前も家族と会話をし、私の夫には

 

「色々とありがとうございました。

あなたのおかげでみんなが無事、ここまでやってこれました」

 

と朦朧としながらもベッドから椅子に移り、そう言って頭を下げたそうです。

 

少し離れたところから見ていた私は、夫の目が赤くなっていたのでどうしたのかな?と思っていたのですが

 

父はきちんと婿養子になってくれた夫にそう感謝の言葉を述べて2日後に亡くなりました。

 

 

⭐父からの最後の贈り物

 

父がなくなったあとはしばらくは家族全員が深い悲しみに途方に暮れていました。

 

エネルギッシュで、現役を退いてからも一家の大事を決めるのは父。父は我が家の大黒柱でした。

夫は父を尊敬、その性格をよくわかってくれていて、いつも父のフォローに回ってくれていたので3世代の同居でも問題なくやってこれたのです。

 

その父の死後、家の中は火が消えたようで、いつもの我が家なのにしっくり来ない……

 

病院から引き上げてきた荷物の中にエンディングノートがあったのを思い出し、みんなでそのノートを開きました。

 

数年前に書き始めたエンディングノートは30ページほどのものでしたが、20ページほどは先にも書いた通りびっしりと埋め尽くされていたのです。

 

そして何より驚いたのは

最後の数ページは家族一人一人にあてた手紙形式になっていたことです。

 

ノートの裏表紙には

Take care!

Do your best.

 

と崩れた力のない文字で書かれていて、本当に最後の時に書いたのだろうと思うと涙がとまらなくなりました。

 

このノートのおかげで、相続の事務的なことがスムーズにいったことはもちろん、終活という立派な人生の幕の引き方を目の前で見せてくれた父は、本当に偉大だと思ったのでした。

 

⭐最後に

 

少しずつ日常に父がいないことに慣れてきましたが、まだふとした時にそこに父がいるかのような感覚に陥り、そして現実に引き戻されると涙が溢れることもたくさんあります。

 

私もよい大人ですが

「あぁ、私は両親がいないんだなぁ」

と思うとまるで孤児になったかのような気持ちです。

 

しかし、父のメッセージを受けて、私たちは自分の生をまっすぐに見つめて前に進んでいかなければなりません。

 

そして私たち夫婦もいつかは必ず来る人生の終わりに向けて、父をお手本にし、あまり心配しすぎず、終活の準備をしていきたいと思います。

 

私たち夫婦から愛して止まない子供たちへ、立派な最後の贈り物になるように……